片岡球子 Tamako Kataoka
1905年北海道札幌市生まれ。女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科卒業。教師として勤めながら創作を続ける。野太い線、激しい原色、型破りな構成はゲテモノと揶揄されるが、小林古怪からの励ましの言葉で、生涯「描きたいものを描きたいように」その信念を貫く。富士山シリーズは高い評価を受け、1986年に文化功労者 1989年文化勲章受賞。2008年急性心不全の為103歳で死去。昭和・平成時代にかけて院展の重鎮として活躍した作家。
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